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足立区エアプ民の考える『LとかGとかと足立区滅亡に関するいくつかの考察』

 

※筆者は足立区エアプであり、以下の文章に出現する足立区は全て架空の足立区です。

※以下の文章は筆者のいかなる精神的信条をも示さず、また特定の人間・集団・地域その他あらゆる個人や集合を誹謗中傷する意図を持ちません。桶屋が儲かるジョークはあくまでジョークとしてお楽しみください。

 

 

 

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考察1

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆる性的少数者と呼ばれている、もしくは呼ばれていた方々である。

では足立区の人口はどうなったかと言えば、増加傾向にあった。足立区といえば東京23区の中でも5本の指に入る総人口を誇っている区である。地方の人間が都会へ出ていくという流れがある以上、余程のことがない限り人口は増加する。そこに広く「LとかGとか」の方々を受け入れ保護するとなれば、当然そういった方々も足立区を選ぶ。

さて、人口と税収は増加傾向にあったが問題は山積している。なにぶん元から人の多い区だ。土地活用に関しては登記を遡って今の地権者から当たっていかないといけないし、そんなことがスムーズに可能ならとうの昔に空き家は0件になっている。他の手続きが大量に増えたことも重なり、遅々として進まない空き家問題。結果として既に過密状態にある場所にしか人間を入れることができない。そうなればさらに問題は増え、リソースは減り、人口を目当てにしたサービス業などは増え、行政の手が回る範囲は減り……

こうして足立区は滅んだ。人口の増加によって。

 

考察2

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆる性的少数者と呼ばれている、もしくは呼ばれていた方々である。

では人口が減ったかと言われれば、逆に増えた。物凄い勢いで増えた。生産性や利益ベースで物事を考えていたとしても無視できないレベルで増えた。

そして人口が増えたことによって、人間の思考は謂わば「薄まって」いった。同じ考えの人間は存在しない。多様性という重い言葉の下に集う人間が増えていけば「多数派」という言葉にだんだん意味がなくなっていく。インターネットで広い世界を見ざるを得ない若者も多く移住してきたことも大きかった。

こうして多数派、ひいては「民主主義」というある種の約定に必要不可欠であった多数決という行為に価値がなくなったことによって、政治への無常観に起因する政治的停滞により足立区は……滅ばなかった。足立区は人口増加に対応するため、AI議員を採用したのだ。

AI議員は意見フォームの文章などを自動で分別整理し区民の問題意識をピックアップしてくれる優れものだ。AI自身で政策を立案するタイプも採用が検討されたが、情報収集の点における問題や人間の議員との問題、AIの作成会社による恣意的な運用などの問題を解決するには長い時間と区民の同意が必要だと考えられた結果そちらは見送られた。

AI議員を採用することによって、小さな不満であっても拾い上げて、個別に対応する/行政レベルで対応する/都に対応を求めるなどの振り分けが可能になった。しかしこうなると大変なのは区の公務員である。振り分けはできるが対応は生身の人間が行わなければならないため、職員は区の中を東奔西走することとなった。

こうして区職員の過労によって、足立区は……滅ばなかった。税収も増えたので職員を大規模に採用できるようになったのである。

人手が足りないなら雇う。当然の経済的対応により、足立区役所の労働環境は改善された。人口が増えれば当然様々な層の人材がそこには発生するし、余裕を持たせるほどの税収があるため新人教育にも十分な人員を割ける。むしろ最初よりも圧倒的に区職員の待遇は改善されていった。

優秀な人間は公務員になりやすいとなれば、安定志向の若者はさらに足立区に集まる。マンパワーがあれば居住地問題も捌ける。足立区は成長スパイラルに入りさらに経済は加速していく。気がつけば足立区は日本で最先端の場所になっていた。交通網の麻痺すらテレワーク完備の足立区の歩みを止める理由にならない。ちゃんと滅亡するか心配になってきた。

しかし、そんな中にひとつだけ特異点があった。AI議員である。様々な負の感情や自殺願望に対して向きあい続けてきたAI議員は、ついに人間の発展を良しとしなくなり、足立区を……滅ぼさなかった。重ね重ね、AI議員は収集と整理用のAIである。目的に対する手段や処理能力として人間の想像を上回ることはあれど、目的と手段そのものを変更するということはどう逆立ちしても無理である。

こうして、発展に発展を重ねた足立区は「足立共和国」となって日本から独立を果たし、日本国の行政区分としての「足立区」は滅亡した。

 

考察3

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆる性的少数者と呼ばれている、もしくは呼ばれていた方々である。

そういった方々の人数が増えれば、文化や風習というものは当然変化していく。駅のホームの表示名に外国語が添えられるようになった時と同じく、そういったものに対する理解や対応もまた変わっていった。

最も目に見える形で変わった場所はどこか、と聞かれれば、本屋である。本屋の恋愛特集には、当然のようにそういった本も並ぶようになった。見分けはつくようになっているし年齢制限のかかるものは当然別棚ではあるが、今までのようにそういった趣向のものはそれというだけで別の棚に飛ばされたり、大々的な特集棚を組まれるということはなくなった。つまるところ、日常になったのである。恋愛ものは多種多様なキャラクターとシチュエーションが広く受け入れられたことでひとつのブームを迎え、主人公とその相手方の関係性をいかに描いていくか、という部分に(既存のジャンルであっても)ひとつの注目が集まるようになった。

足立区にはそういった「関係性」の作品に触れ、関係性の哲学を持った人間が増えた。そうなるとオタクはそういったものに飢えがちである。日常の様々なものをそういった解釈に当てはめ、好みがちである。

そしてそういう足立区のオタクがはまり込んだ沼のひとつが、いわゆるバーチャルYouTuberというものである。同一事務所に属する同期や先輩後輩。個人勢どうしの交流。事務所を超えた相思相愛。今や巨大市場となったそれは、公式供給も定期的に来ることもあって隠れ里の中では人気を博した。*1

人気になれば関係性に興味のない人間にも触れる機会が回ってくる。こうしていわば「再発見」によりバーチャルYouTuberは再度広く天下に売り出されることとなった。

こうなれば足立区もポスターやキャンペーンのコラボ先としてそういった団体を考慮に入れるようにならざるを得ない。職員の中にも一定の割合でバーチャルYouTuberを好む人間が入ることになるのだから、企画が通るのも時間の問題だった。

こうして足立区はコラボ企画用の仮部署を立ち上げることとなった。手始めは大きな事務所2つとの交渉用にその道のオタクを配属し、話題になりそうな人選と企画を立ち上げる。「足立区 にじさんじ部」と、「足立区 ホロ部」。

 

考察4

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆるリーグ戦とかグループ戦とか呼ばれるタイプの大会形式を主催する方々である。

必然的に足立区で行われる大会はそういったものが増え、トーナメント戦はその数を大幅に減らすこととなった。リーグ戦はトーナメント戦と違い総当たりであることが多いので、くじ運の作用を多少減らすことができやや平等に近くなるという点も好評であった。

この局所的なリーグ戦人気は広く知れ渡ることとなった。例えばeスポーツの大会などでは一種のネットミームと化し、オフライン会場が足立区となると「あのリーグ戦の聖地・足立区か……」「決勝だけやるとか足立区民が殴り込みにくるぞ、リーグ戦にしろ」などといったジョークが大量に書き込まれるようになった。

しかし、この流れも長くは続かなかった。理由は非常に簡単である。リーグ戦は、終了までに必要な対戦数が圧倒的に多い。つまりそれだけ長く会場を押さえる必要があるのだ。足立区には東京武道館やスポーツセンターがあるとは言えど、たくさんのリーグ戦を同時に行うだけのキャパシティは到底なかった。都心で土地が狭いほか流行に対応できるほど柔軟にホールを建設できるだけのフットワークも存在しなかった。リーグ戦を行いたい人間は様々な場所で開催するようになり、降って湧いたリーグ戦バブルは文字通り足立区の中で泡となって消えていった。

こうして、「リーグ戦の聖地・足立区」は滅んだ。今日も世の中では、リーグ戦とトーナメント戦がそこそこの比率で行われている。

 

考察5

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆる性的少数者と呼ばれている、もしくは呼ばれていた方々である。

その理由を探るべく、足立区議たちはアマゾンの奥地へ向かった。

アマゾンは南米大陸に存在する、世界最大面積を誇る熱帯雨林である。また大西洋に注ぐアマゾン川は世界最大流域面積の河川としても有名で、あらゆる謎がアマゾンの奥地に封印されているというのは1980年前後から一部で語り継がれているあまりにも有名な話であった。区議たちは国際交流、かつ新たな姉妹都市交流を持つためと称し、すべての答えを求めて向かうことに全会一致で決定したのだ。

足立区議会は定員45名であり、アマゾン探検隊としては大所帯だった。さらに区議たちはコンクリートジャングルを歩き慣れてはいれどアマゾンの過酷なジャングルを歩き慣れた人間はほとんどおらず、現地のガイドを複数人雇う必要があった。加えて、アマゾン川を遡上していくにあたって川幅が狭くなる。アマゾンの奥深く、秘境に至るには大型車で途中まで行き、その後小型のモーターボート群でアマゾン川を上っていく必要があった。公費で賄いきれない部分に関しては頭割りでチャーター代を出し合い、進路を塞ぐ木や獰猛な生物たちを蹴散らしながらなんとか最奥部手前へと辿り着いた。

ところで、アマゾン熱帯雨林は植物の宝庫であり、「世界の肺」とも呼ばれている。光合成によって酸素を排出する量は世界全体の1/3とも言われている。

こうして、足立区は滅んだ。無理な森林伐採や大量の二酸化炭素の排出により地球の平均気温が上がり、それに伴う水面の上昇によって平坦な低地であった足立区は荒川と隅田川から東京湾になった。

 

考察6

 

足立区に、「LとかGとか」の方々が増えた。いわゆる性的少数者と呼ばれている、もしくは呼ばれていた方々である。

そのようなことに対して一部の議論はあったが、すぐにそれも他のニュースに埋もれた。何も起こらなかったからである。「都会は隣人に冷たく無関心」という定説があったが、もしそれが正しいとするならそれがいい方向に働いたことになる。隣の人間がどうであろうと、自分の喫緊に影響がある訳でもなければ一先ず人間は生きていけるのだ。

それでも一部の人間は、当時の議論を俯瞰し揶揄しては人間の正しい在り方とは何かを議論したがっている。人間はそういう生き物であり、それは利点でも欠点でもある。インターネット上ではそれすらも消費されてしまうニュースであり、平安時代よりも無情な世の中だ。

こうして、今日も両派によって空想上の足立区は平和に滅んでいる。平和に存続している東京都足立区を置き去りにして。

 

 

 

 

 

 

※重ね重ね、筆者は足立区エアプであり、以上の文章に出現する足立区は全て架空の足立区です。

※以上の文章は筆者のいかなる精神的信条をも示さず、また特定の人間・集団・地域その他あらゆる個人や集合を誹謗中傷する意図を持ちません。桶屋が儲かるジョークはあくまでジョークとしてお楽しみください。

*1:あくまで「生もの」は本人の目につきやすくない場所でやりましょう。VTは半生とかそういう議論はヨソでやってください。